ケータイ辞書JLogosロゴ 育波荘(中世)


兵庫県>北淡町

 鎌倉期に見える荘園名。津名郡のうち。「経俊卿記」正嘉元年4月19日条に「岡崎三位申 育波庄事」とあり,机荘領家であった岡崎資雅が当荘の件につき院に訴えている。当荘も同人所領であったものか。港湾の地としても発展し,室町期,文安2年の「兵庫関雑船納帳」には「四十五文 イクワノ六郎 大木三十ハ」「四十五文 幾輪三郎 木三十ハ」などの船が薪を積んで兵庫津にのべ20艘入港している(東大寺文書)。また,同年の「兵庫北関入船納帳」によると「地下 大麦八石〈讃岐斗〉……イクハ三郎」とあるのをはじめ,当地の船頭三郎が大麦・藍・大豆などを兵庫の船に積んで同津に入ったことが知られる。永正14年閏10月27日付道者売券には「いくわの分一円」と見え,伊勢神宮の御師も当地を訪れていた(神宮文庫蔵輯古帳)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387647
最終更新日:2009-03-01




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