ケータイ辞書JLogosロゴ 的部南条郷(中世)


兵庫県>香寺町

南北朝期〜戦国期に見える郷名播磨国神西郡のうち貞治3年6月15日光厳法皇は「播磨的部南条」を天竜寺に寄進し,禅人の粥飯料に宛てている(天竜寺重書目録/大日料6‐25)崇光上皇は,光厳法皇による天竜寺塔頭の建立を聞き,同年11月6日的部南条の半分を塔頭料所とし(同前/同前6‐26),翌年7月26日足利義詮はこれを安堵している(同前)至徳4年閏5月21日の天竜寺領土貢注文案によれば,的部南条郷(半分)の土貢は米代295貫650文・公事銭86貫888文・銭382貫538文であった(天竜寺文書/神奈川県史資料編3上)応永20年と推定される長講堂領・法金剛院領・熱田社領・播磨国衙別納目録写に「播磨国衙別納……的部南条 天竜寺」と見え,当地は播磨国衙の別納で,その半分が天竜寺に寄進されたのであった(東山御文庫記録/大日料7‐19)以後,室町期を通じて当地は天竜寺領として推移したこのほか,応永25年2月15日「的部南条内武吉名一円」が威徳寺に寄進された(雲松寺文書)文明10年5月28日の足利義政御教書に「南条下郷」(鹿王院文書/大日料8‐10),「伺事記録」延徳2年8月29日条に「的部南条上下郷」と見え(続大成),戦国期には的部南条にも上郷・下郷が成立していたさらに,永禄元年5月5日の小南春盛宛行状に「南条郷香呂村藤兵衛名職事」と見え(芥田文書),的部南条郷は単に南条郷とも称された当地は的部郷が南条と北条に分割されたうちの南半分に相当し,現在の香寺町相坂・田野・犬飼・中仁野・広瀬・香呂に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387652
最終更新日:2009-03-01




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