ケータイ辞書JLogosロゴ 的部北条(中世)


兵庫県>香寺町

南北朝期から見える地名播磨国神西郡のうち正和元年12月日の伏見院譲状案に「衣笠殿当時御管領所々永陽門院御一期不可有相違,於的部北条者,被置故朔平門院追善料所了」と見え,当地は皇室領で,朔平門院の追善料所となっている(伏見宮蔵御料地志稿)貞和3年7月11日の足利尊氏下文によれば,「的部北条公文職参分壱」が尊氏から熊谷直経に勲功の賞として宛行われており,同年9月4日赤松則村にその下地の沙汰付が命ぜられている(熊谷家文書/大日古)下って,「蔭涼軒日録」長享3年4月20日条などに「西禅寺領播州的辺北条」と見え,当地は室町後期から戦国初期にかけては西禅寺領であった(大日本仏教全書)戦国期には,永正7年11月23日赤松義村が祐乗坊宗琇に的部北条半済分を安堵している(京都大学所蔵文書/大日料9‐2)当地は的部郷が南条と北条に分割されたうちの北半分に相当し,現在の香寺町中寺・土師【はぜ】・溝口・岩部・矢田部・行重と福崎町高橋を含む地域に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387654
最終更新日:2009-03-01




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