ケータイ辞書JLogosロゴ 伊含(中世)


兵庫県>浜坂町

 鎌倉期から見える地名。但馬国二方郡大庭荘のうち。弘安8年の但馬国大田文に「大庭庄 七十四町五反百十四分〈加伊含浦定〉」とある。当地の下司は国御家人宮井盛長で,伊含浦下司給1町を与えられていた。下って,戦国末期の天正15年4月,細川幽斎は九州の豊臣秀吉の陣に赴くため,居城田辺をたち,「但馬因幡のさかひ居ぐみといふ所」に舟泊りしたという。この時,幽斎は「主従は旅にしあれは里のなの居くみにしたるかりの宿哉」と詠じている(九州道の記/群書18)。なお,永禄年間の清富相応峰寺過去帳に「井含ノ谷村兵衛太郎ノ親」など,当地の住人が見える(浜坂町史)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387655
最終更新日:2009-03-01




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