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- 池田(中世)とは
「池田(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 池田(中世) 鎌倉期から見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 池田(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 池田(中世) 戦国期にみえる地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 池田(中世) 戦国期から見える字名山城国愛宕【おたぎ】郡大宮郷のうち現在の北区紫野雲林院町北部に相当永正元年4月日,松源院被管力者道元作職買得当知行地目録に「壱段半 在所大宮郷内字名号池田々」とあるのが初見(大徳寺文書2-859)同11年10月20日の竜翔寺領田数目録にも「一,池田三反,年貢壱石ニ定,堂能祐作之,升ハ当寺納下用也」と見える(同前6-2315)天文19年9月22日,賀茂別雷神社領大宮郷検地帳には「梶井御門跡東,雲林院ノ赤社北迄一,〈号字池田〉一反 雲林院田 作人 材木彦三郎」と見え,この田地とも7筆6反が同じ字名で呼ばれたようである(賀茂別雷神社文書)元亀3年6月24日の宗園分指出および同日付宗晃分指出には,同所所在の田地各1反が記され(大徳寺文書8-2532),天正17年11月吉日,大宮郷大徳寺分検地帳にも,3筆計4反2畝23歩の田地が「池田」所在として出現する(同前5-1998)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 池田(中世) 戦国期に見える地名能登国鹿島郡八田郷府中のうち永禄11年と推定される5月6日付畠山義綱書状には,さきに能登から近江に出奔していた前七尾城主畠山義綱が能登国奪回を目指して七尾へ進攻,「府中池田要害」に遊佐孫右衛門尉・神保周防守を置いて,長続連・遊佐続光らが畠山義慶を擁立してたてこもる七尾城と対峙したと見える(自養録紙背文書)現在の七尾市の中心地付近のうちに比定できるが,確実な位置は不明である... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 池田(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 池田(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 池田(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 池田(中世) 戦国期に見える地名越後国蒲原郡のうち天正5年の三条領闕所帳(市川浩一郎所蔵文書)に「同(原藤介)分太浦・池田共ニ」とある五十嵐保内の地名と推定される同年の三条衆給分帳には「小柴新四郎分 保内太浦之池田」とある(同前)比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」