ケータイ辞書JLogosロゴ 砂部村(近世)


兵庫県>加古川市

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国印南【いなみ】郡のうち。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」155石余うち田135石余・畑19石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに273石余。金沢九郎兵衛は,文政11年的形村塩浜新田の開発を始めて天保元年に完成させ,また新野辺村新開新田を天保4年から同8年にかけて開発して金沢新田と命名。また飾西【しきさい】郡広畑村の新開新田も天保7〜10年の開発。これらの開発は,高砂船頭町の新屋嘉兵衛と共同で行う。資金は,加東郡太郎太夫村の近藤仁右衛門およびその一族から支出された(金沢家文書/加古川市誌2)。寛延2年の姫路藩百姓一揆では,大庄屋磯野新六郎,神職の伊賀守が襲われる(寛延二年姫路藩百姓一揆と滑甚兵衛)。喜多順庵は,長崎で外科術を修めるなどして医師となり,業績により苗字帯刀を許される。明治5年飾磨県へ提出した届けによると,凶年などに備える固寧倉1軒を持ち,麦を貯蔵(金沢家文書)。明治初年頃,農民喜多九十郎は寺子20名を集め,医師喜多順庵は10名を教育。同14年の戸数53・人口225。同19年山陽鉄道が当村南端に着工,同21年に開通。同22年東神吉【ひがしかんき】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387727
最終更新日:2009-03-01




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