石原(近代)
明治22年〜現在の大字名。はじめ八鹿村,大正2年からは八鹿町の大字。戸数・人口は,明治24年152,男351・女325,大正9年150・776(校補但馬考)。昭和29年の世帯数123・人口630。妙見山は古来妙見杉の産地として知られ,妙見宮の所有山地500町余には樹齢500年余を超す巨杉が生い茂っていた。ところがその所有をめぐって日光院と名草神社が35年余にわたって争い,明治39年に和解した。この結果,名草神社周辺30町余を名草神社へ,70町余を門前村妙見へ,残り400町余を日光院が所有することになった。このときの裁判費用捻出のため巨杉が売られ,大正元年から10年間にわたって切り出され,このため夫婦杉など名草神社周辺の巨杉を残し,ほかはことごとく姿を消した。山地に囲まれ,住民は農業のかたわら山林労務に携わり,炭焼きや杉苗生産にいそしんだ。炭焼きは現在すたれている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387786
最終更新日:2009-03-01