ケータイ辞書JLogosロゴ 市村(近代)


兵庫県>三原町

 明治22年〜昭和30年の三原郡の自治体名。市村・三条村・十一ケ所村が合併して成立。市市組・市小井組・市青木組・市善光寺組・市円行寺組・十一ケ所三条組・十一ケ所十一ケ所組・十一ケ所徳長組・十一ケ所新組の9大字を編成。明治24年の戸数689,人口は男1,588・女1,561,寺院4,学校2。世帯数・人口は,大正9年655・2,867,昭和10年734・3,406。大正11年淡路鉄道宇山〜市村間開通。市組福永には商店街が形成され当村の中心地として発展した。また国や県の出先機関の多くが村内に置かれた。当村は水利に恵まれない地域が多かったが,明治34年頃当村の山口多吉が考案した暗渠水路によって水田化が進み,昭和7年上田池の完成によって農業用水が安定的に供給されるようになった。同8年真如裁縫女学校が広田村から市青木組に移転,真如実科高等女学校,県立三原高等女学校を経て,同23年県立三原高校となる。昭和22年三原郡町村会が旧郡役所庁舎を事務所として発足。同年市中学校開設。同30年三原町の一部となり,9大字は市市・市小井・市青木・市円行寺・市善光寺・市三条・市新・市十一ケ所・市徳長となり,同町の大字に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387869
最終更新日:2009-03-01




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