ケータイ辞書JLogosロゴ 櫟田村(近世)


兵庫県>西淡町

 江戸期〜明治10年の村名。淡路国三原郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。天正14年の淡路国御蔵入目録によれば,「いち田」と見え高160石(脇坂文書)。慶長15年池田忠雄領,元和元年からは阿波国徳島藩領。村高は,「郷帳下書」457石余,「天保郷帳」494石余,「旧高旧領」567石余。「味地草」によれば,高552石余うち采地228石余,家数100。庄屋組は掃守【かもり】組に属した。鎮守は八幡神社,ほかに反正天皇誕生地と伝える産宮神社(淡路瑞井宮)。寺院は浄土宗日光寺と真言宗願海寺。日光寺には舌のある銅鐸のほか,境内墓地に鎌倉期と南北朝期の石造五輪塔と宝篋印塔3基がある。また,当村では両墓制を持続していた。願海寺は俗に三原のお大師さんと呼ばれ,境内に寛政元年に建立された芭蕉句碑扇塚がある。この裏山を阿弥陀峰という。水利は川掛りと池掛り併用で,皿池・籠池・糟池・大瀬池など小池が多い。当村は藩の御留野であった。徳島藩の天保分間絵図によれば,日光寺周辺まで慶野松原が続いていた(西淡町役場蔵)。明治7年櫟田小学校開校。同10年笥飯野【けいの】村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387875
最終更新日:2009-03-01




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