ケータイ辞書JLogosロゴ 市原村(近世)


兵庫県>加美町

 江戸期〜明治13年の村名。播磨国多可郡のうち。杉原市原村ともいった(元禄郷帳・旧高旧領)。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,寛永16年からは幕府領。村高は,「正保郷帳」279石余うち田123石余・畑155石余,延宝検地帳でも279石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに246石余。反別は,延宝検地帳で田9町4反余・畑15町3反余・屋敷9反余,明和9年の差出明細帳で田11町3反余・畑13町5反余。この間の新開田は南端の新宮の森の東方で,現在も新田と称されている。延宝検地帳によれば,名請人32,小物成は炭竈役銀8匁・鉄砲役銀9匁・茶役銀1匁3分・川役銀2分・床役銀2匁2分・山手銀61匁・藪役銀6匁。明和9年の差出明細帳によれば,家数36(高持32・水呑4)・人数159,牛21。文化5年の御城米滝野高砂出明細(藤賀家文書/加美町史)によれば,年貢米67石余。市原鉱山では中世に銅・銀を盛んに採掘した。吹屋が谷で精錬したが,処理しきれず現西脇市の大木・市原〜野村の山すその地へ搬出し精錬した(三木金物志)。小物成の床役は未処理鉱滓の吹分けに対する課税である。また,延宝検地帳では,54区画の鉱業関係の住宅跡が除地となっている。なお,延宝検地帳の減石93石余は主に鉱毒による永荒地である。鎮守は熊野神社。境内に遍照坊という寺院もあった。同社を新宮さんと呼び,この森を新宮の森という。もと北東の山すそにあった二軒宮の方が創建が早く,それに対して新宮と呼ぶようになった。二軒宮は大歳神社2社からなり,のち一方を丹治村へ遷し,もう一方も熊野神社へ合祀された。寺院は浄土宗白雲山専浄寺。明治13年門三原村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387913
最終更新日:2009-03-01




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