前方一致 全文(カスタム検索)
Guest Guest
  1. JLogos検索辞書>
  2. 市原とは

「市原」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

市原


加古川支流杉原川下流右岸に位置する...

全文を表示する


[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7387922]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

◆関連辞書(JLogos内)


  1. amazon商品リンク
市原村(中世)

鎌倉期~室町期に見える村名伊都【いと】郡官省符荘下方のうち地名の初見は安貞2年8月9日の実秀荒野売券(高野山文書/大日古1-5)で,「金剛峯寺政所下方市原之前島」とあり,当地内前島の荒野2反が直銭1貫400文・小袖1領・綾絹1領で貞包に売り渡され,また,仁治4年3月28日,馳使貞包が当地内の田地240歩を直乃米6斗・銭200文で快珍に売り渡している(同前)村名の初見は嘉禎4年4月10日の僧実俊田地売券(同前)で,「字市原村黒谷尻」とあり,当村内黒谷尻の田地1反180歩が乃米3石・銭800文で快珍房に売り渡されているそして元徳3年6月19日,比丘定智が当村の田地1反を御影堂陀羅尼田に寄進した(同前1-2)正嘉2年9月29日の京一田畠譲状(同前1-5)によれば,「政所下方市原湯屋前」の田畠180歩と120歩が実子今犬丸に譲られたこの「湯屋前」については,弘安元年11月3日の曼荼羅供沙汰人教算書状(同前)によれば「市原湯屋前田券両通」を預かっている旨,また関東の用途を沙汰する必要があるので買主を調べるべき旨が記されている同年11月9日の大法師定覚田畠売券(同前)で当村の田畠180歩が6貫604文で台女の質物流代として要泉房に売り渡され,教算も署判を加えているまた徳治2年8月23日の御影堂灯炉用諸衆評定書(同前1-2)によれば,「市原湯屋前」の水田180歩は要仙房が御影堂灯炉に寄進し,この時それが安堵されている正嘉2年10月27日の僧増得田地売券(同前1-3)によれば,「市原之村河井之つほ」の田地1反が直能米10石で幸取に売り渡されているこの「河井之つほ」については,建武5年8月22日の五智院院主権律師定深文書紛失状(同前1-4)および同年月日の証真如院殿法印坊田地売券(高野山正智院文書/かつらぎ町史)によれば,「高野山常住金剛院修理料所政所市原村河井坪弐段大」の本券を,本所証真如院殿から五智院の故弘算法印に預けていたところ紛失してしまったので,紛失状を作成し,この田地が天野丹生社の神主恒信に売り渡されているそして同田地は同年8月25日の丹生神主恒信質券(同前)で,3貫文の質地とされた弘安3年11月20日の僧竜得田地充文(高野山文書/大日古1-3)には「市原惣持院田壱段〈極楽堂夏衆田〉」とあり,当村に惣持院なる寺院があったことが知られる同4年11月15日の藤原太子田地売券(同前1-5)には「市原村字井森下」とあり,当村の水田1反が乃米10石で聖恵房に売り渡されているそして同5年7月20日聖恵房行源は同じ水田1反を直銭18貫文で真教房に売り渡し(同前),真教房信祐は嘉暦3年12月8日に同地を御影堂に寄進している(同前1-2)弘安8年2月3日の藤原太子田地売券(同前1-3)には「市原村字クタ田」とあり,当村の田地180歩が能米6石5斗で大賢房に売り渡されているこの「クタ田」については,元亨2年12月11日の丁ノ町経随田地売券(同前1-4)で,「市原村字玖多田」の田地1反が直銭8貫文で三郎次郎に売り渡されている正応元年9月15日の浄善田地売券(同前1-3)によれば「市原村字黒谷下」の田地1反が直米10石で禅性房に売り渡されているついで永仁4年6月日の尼浄阿弥陀仏御影堂陀羅尼田寄進状(同前1-2)では,「市原村字河井」の田地1反が御影堂に寄進された嘉元3年12月16日の僧竜大田地売券(同前1-4)によれば「市原村字鳥居坪」の田地1反が直銭8貫文で天野荘殿御女房に売り渡されているそして徳治2年卯月6日,藤原氏女が同じ水田1反を御影堂に寄進している(同前1-2)同年5月19日の年預澄忍御影堂陀羅尼田寄進状(同前)に同寄進状が記載され,寄進者名として「藤原氏女〈天野庄屋〉」と見える延慶4年2月19日の阿闍梨頼審田地売券(同前1-5)によれば,「市原村長田」の田地1反100歩が銭9貫文で得浄房に売却されたそして文保元年11月18日,得浄房覚遍から「市原長田壱段六十歩」が御影堂に寄進されている(同前1-4)正中2年7月28日の阿闍梨良芸御影堂陀羅尼田寄進状(同前1-2)では「市原村字出走」の水田180歩が御影堂に寄進されている元弘3年5月16日の勢至女田地売券(同前1-5)によれば,「市原字鳥居戸」の水田1反180歩が直銭10貫文で,金剛峯寺御影堂陀羅尼田料所として,阿波国秋月荘友吉名主沙弥善恩に売り渡され,同水田は同年5月21日御影堂に寄進されている(同前1-2)南北朝期建武元年9月30日の検校澄喜御影堂陀羅尼田寄進状(同前)では当村内の田地1反が御影堂に寄進されたまた貞和4年3月21日の大法師祐賢御影堂陀羅尼田寄進状(同前)でも「市原村内字草田」の田地1反が御影堂に寄進されているなお明徳2年の年紀を有する諸供領臈次番付書(同前1-8)によれば,82・84・101・135の各臈には当村の作人の名が見え,字名としては116臈に配分された耕地の地名に「森前」,以下同じく148臈に「河井」,183臈に「長田」,206臈に「出走」,215臈に「井森藤井坪」,233臈に「鳥居戸」,349・378臈に「草田」,402臈に「堂前」などが,その他11・296臈にも当村名が見える延元2年9月3日の官省符在家支配帳(同前1-7)によれば,当村に14宇の在家があったことが知られる応永2年10月27日の市原村田帳(御影堂文書/かつらぎ町史)によれば,田数は21町7反318歩,376筆の田地が書きあげられており,地主には当地の地蔵堂・観音寺,荘官層の田所・高坊氏などが記されているまた同年月日の市原村畠帳(同前)によれば,63筆の畠が書きあげられ,畠数7町7反124歩であったまた市原村在家并新畠帳(同前)によると,在家は16宇(下地9反120歩)であり,「島新畠」として137筆,13町4反114歩の畠地が記されているこの「島新畠」は紀ノ川の中州であったと考えられ,地主は山上と三谷殿駿仁房がほとんどを占め,作人は対岸の山崎,隣の妙寺からの出作が多く見られる下って戦国期の永正14年6月28日の大楽院芸秀田地売渡状(飛見家文書/県史中世2)によれば,「市原」の田地1所が直銭2貫800文で遍明院に売却されている天正7年2月15日の高坊常敏矢落山売券(亀岡家文書/高野口町誌上)によれば,高坊氏相伝の矢落山が5年間の据え置き期間をもって直米25石で名倉村に売り渡されており,その際口入した9名の中に「市原 善右衛門」の名が見える江戸期の「続風土記」には,丁ノ町村の小名に「市原」があり,現在のかつらぎ町丁ノ町のうちに比定される

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

市原野(中世)
 室町期から見える地名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

市原郡
当郡域は江戸初期の再編後も天羽・望陀【もうだ】両郡との間に変動があり,元禄年間までにようやく確定したと思われる...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

市原荘(中世)
 鎌倉期から見える荘園名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

市原郡
「和名抄」上総国十一郡の1つで,国府の所在郡...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

市原村(中世)
 鎌倉末期からみえる村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

市原村(近世)
 江戸期~明治13年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

市原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

市原村(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

市原【いちはら】
房総半島北西部に位置する...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

市原村【いちはらむら】
(近世)江戸期~明治9年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

西暦2024年(平成36年)
420曜日
新着時事用語
リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

所有者不明土地
┗ 永年相続登記(不動産の名義変更)が行われずに、登記簿上で所

遺言控除
┗ 有効な遺言書による相続となった場合、相続税の基礎控除額に上

今日を知る

今日の記念日

『逓信記念日、女子大の日』

1901(明治34)年、日本初の女子大学である日本女子大学校(現在の日本女子大学)が開学しました。

今日の暦

月齢:11

月齢:11
月名(旧歴日):十日余りの月(とおかあまりのつき)

・2024年(年/竜)
・4月(卯月/April)
・20日
・土
・Saturday
・友引

二十四節気:「穀雨<
・a>」から<
・font>1日「
立夏<
・a>」まで<
・font>15日


JLogos Now!!