ケータイ辞書JLogosロゴ 伊津村(近世)


兵庫県>御津町

 江戸期〜明治9年の村名。揖西郡のうち。はじめ竜野藩領,万治元年からは讃岐国丸亀藩領。村高は,「正保郷帳」170石余,うち田155石余・畑15石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに215石余。西讃府志によると,出屋敷として伊津浦があり,その集落は本村より広大であると記される。同書によれば,村高206石余,田13町9反余・畑2町9反余・屋敷2反余,年貢米103石余・山役米5升2合,家数124・人数636,牛12。鎮守は春日大明神(現春日神社),境内摂社は伊勢大神宮社(現豊受神社)・天満宮社(現天満神社)。ほか村東に荒神2祠,村中に荒神1祠があり,伊津浦に恵美酒祠(現恵美酒社)・金毘羅大権現祠がある。寺院は伊津浦稲背山山麓に元禄14年創建の観音堂(現真言宗稲背山観音寺)がある。水利は池(80%)・荘内井堰(20%)から取水。産業は半農半漁。観音堂創建当時から漁家は追々伊津浦へ移り住んで出屋敷を形成した。本村は米麦作が主で,山畑に綿・雑穀を作った。伊津浦住人は漁と海運を主産業とした。魚問屋1・魚仲買問屋1があった。船64(5反帆43・7反帆15・8反帆6)。名産は小布苔。醤油の醸造を坪田浅五郎が伊津浦で,坪田久太郎が伊津で行っていた。のち合併して坪田醤油株式会社を創設する。また上西宗兵衛・坪田浅五郎らは千石船に醤油・素麺を積み北海道へ行き,帰りは鰊・干鰯・昆布などを積み手広く商いをした。明治6年隣池小学校開校。同9年岩見村の一部となる。伊津は岩見村丙組,伊津浦は岩見村丁組と称した。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7387944
最終更新日:2009-03-01




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