ケータイ辞書JLogosロゴ 稲富村(近世)


兵庫県>御津町

江戸期〜明治9年の村名播磨国揖西【いつさい】郡のうち稲留とも書いた揖保【いぼ】川下流右岸,寺山南麓に位置する地名の由来は,稲がよく実って富穣なことによるというまた,稲富山円融寺の門前町として成立したので,山号をとって村名としたともいう地名の初見は,室町期の「峰相記」に稲富観音と見える(続群28上)はじめ竜野藩領,万治元年からは讃岐国丸亀藩領村高は,「正保郷帳」218石余うち田199石余・畑19石余,ほかに円融寺御朱印高10石,「元禄郷帳」228石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに278石余「天保郷帳」以後は,円融寺寺領も村高のうちに含められている西讃府志によれば,高253石余,田12町3反余・畑2町余・屋敷6反余,年貢米123石余,家数42・人数171,牛11鎮守は熊野大権現(現熊野神社)もとは稲富・片両村の氏神であった寺院は真言宗稲富山円融寺同寺は天平11年聖武天皇の勅願によって僧行基が開基,もと16僧坊があったが,嘉吉の乱により灰燼に帰した弘治2年再興水利は3つの池と荘内井堰から取水産業は米麦作が主で,山畑には雑穀を作った農間期には塩浜・酒蔵などへ出稼明治9年岩見村の一部となる岩見村乙組と称した
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388003
最終更新日:2009-03-01




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