ケータイ辞書JLogosロゴ 犬甘保(中世)


兵庫県>篠山市

 鎌倉期〜室町期に見える保名。丹波国多紀郡のうち。嘉禎4年3月12日の尼光蓮申文案に「丹波国犬甘保」とある(歴代秘録裏文書/鎌遺5217)。当保は本家が皇室で,領家は仁和寺末の法金剛院(法金剛院文書)。当保は酒井兵衛太郎明政の相伝所領3か所(主殿保・犬甘保・油井保)の1つで,明政は当保を嫡男貞光の後家と思われる光蓮尼に譲り,他の2保は次男の兵衛次郎政親に譲ってまもなく死去した。そのためこの3保は人々に押領されてしまった。光蓮尼は関東へ下り,北条義時に子細を言上した。その結果,義時は3保を光蓮と政親とに安堵した。ところが政親は当保を光蓮尼に渡さず,嘉禎2年に御教書を下されたが政親の濫妨は止まず,同4年3月12日にも再び訴え出たが効果はなかった。正中2年には政親の子孝信の遺領をめぐって三方相論が起こり,惣領貞信,その弟信綱と甥信経が9か年間対立して争い,ついに関東の下知により和睦が成立,貞信・信綱は各々地頭・公文給3反を含めて142反5代,信経は地頭・公文給3反を含めて80反で,犬甘・主殿保内の田地を分割した(酒井文書)。かくして酒井家は当野(主殿・竹内)・矢代(宮林)・栗栖野の3家に分派した。応永32年1月8日矢代の酒井氏重から子息又六への譲状に,「多紀郡主殿・犬甘両保地頭職事,右於彼田地昔代々御下文手続証文相副,氏重当知行無相違者也,然を子息又六ニ田地をわかち限永代譲与所実也」とあり,田畠坪付に犬甘分が見える(同前)。当保域は現在の篠山市犬飼・牛ケ瀬・初田に比定され,犬飼に保名を遺している。なお,当保を現在の京都府亀岡市西別院町犬甘野に比定する説があるが,誤りである。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388024
最終更新日:2009-03-01




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