ケータイ辞書JLogosロゴ 犬見村(近世)


兵庫県>大河内町

江戸期〜明治11年の村名播磨国神西郡のうち市川支流犬見川の下流域,播但中央山地の谷あいに位置する地名の由来は,大化年間牧夫の長者の一命を助けた犬が,当地に逃げてきて死んだ長者は当地に犬塚を建て,それ以後犬見と称するという(神崎郡誌)これに関連して皇極天皇の頃,蘇我入鹿に攻められた山背王が大中臣の守護のもと大和を逃れ,越原真武長者を尋ね,当地に来て死亡,是非なく新野山の陵に葬ったという記録もある(大中家文書)はじめ姫路藩領,寛永17年因幡国鳥取藩領,寛文3年福本藩領,寛文6年からは旗本(福本)池田氏知行(慶応4年から再び福本藩領)村高は,「正保郷帳」298石余うち田230石余・畑68石余,「天保郷帳」350石余,「旧高旧領」354石余寛政2年不作の連続で村民は飢餓に陥り,領主福本氏に歎願,米240俵を下付された(大中家文書)天保7年の家数は,犬見村のうち大川原28・赤田20・重行20とあり,本村の軒数は記載がない明治4年福本藩札を因伯通沙切手会所において8月14日限りの引換が指示されている(同前)神社は市原神社ほか3社(明治41年市原神社に合祀)寺院は曹洞宗越原山清水寺・臨済宗洞領山祐泉寺清水寺の創建は延享2年となっているが(神崎郡誌),大化15年説があり,犬寺伝説が同寺の縁起となっている(大中家文書)明治7年集成小学校が清水寺を校舎として開校同11年長谷村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388027
最終更新日:2009-03-01




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