ケータイ辞書JLogosロゴ 伊保荘(中世)


兵庫県>高砂市

 鎌倉期〜戦国期に見える荘園名。印南郡のうち。伊穂荘とも見える。「聖徳太子伝私記(古今目録抄)」に,法隆寺末寺末荘18か所の1つとして「伊穂庄〈播磨国〉」が見える(続々群17)。嘉元3年4月頃および暦応5年正月の摂籙渡荘目録に「伊保庄 田廿五町一段卅五代〈所当仮令五十余石〉」とあり,当荘が藤原氏長者領であったことがわかる(九条家文書1/図書寮叢刊)。「康富記」享徳3年8月7日条には,「渡領播州伊保庄事,印南郡内也,大覚寺殿進之云々」と見える(大成)。当荘は以後も殿下渡領として存続し,文明11年長興,明応2年寿官,明応6年治部卿入道に宛行われている(後法興院雑事要録/吹田市史4,宣胤記/荘園志料)。文明11年6月日の御借物方返弁注文によれば,前年12月に返弁された32貫300文のうちに当荘分1貫500文が含まれていた(九条家文書5/図書寮叢刊)。しかし,戦国期には当荘も争乱に巻き込まれており,天文8年12月11日当荘への諸軍勢の乱入狼藉を禁ずる制札が下されている(印南郡誌)。下って天正10年8月24日羽柴秀吉から伊保荘天神(曽根天満神社)へ寄進された所々を記した文書に「はりま伊保庄 寺沢藤右衛門広政」と見え,この頃には当荘が寺沢広政の支配下にあったことがわかる(曽根文書)。天正16年12月25日の伊保荘指出案に,「本庄村」「いほさき村」「中筋村」「東西村」「かんき両村」「牛谷村」の名が見えるので(同前),当荘域はこれらを中心とする一帯であったと思われる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388071
最終更新日:2009-03-01




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