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- 今里村(中世)とは
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今里村(中世) 南北朝期に見える村名筑前国夜須郡のうち建武3年6月30日の仁木義長宛行状案(青方文書/纂集)によると,足利尊氏の命令をうけて仁木義長は,五島の青方孫四郎(高直)に「夜須庄内今里村地頭職拾伍分壱」を勲功の賞として宛行っている当村は夜須荘のうちにあったので,現在の夜須町内に比定されるが,地名としては残存していない |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今里村(中世) 鎌倉期に見える村名伊勢国河曲【かわわ】郡のうち「三長記」建永元年6月29日条に見え,江嶋御厨と河南御厨との相論対象となっているこの相論には実検使史生定宗が派遣され,同書同年9月10日条に摂政近衛家実は「河曲(南カ)取帳」につき,定宗に詳細を尋ねせしめている比定地未詳だが,相論からみて鈴鹿市江島町内に求められる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今里村(中世) 鎌倉期に見える村名吾妻【あがつま】郡のうち鎌倉末期~南北朝期に成立したと推定される「大中臣氏略系図」によれば,承久年間頃の常陸国那珂郡地頭の中郡六郎太郎経元の一門が拝領した所々の1つに「上野国吾妻郡内今里村〈那珂彦五郎妻知行之〉」と見え,那珂氏の所領であったことが知られる比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」