ケータイ辞書JLogosロゴ 入野村(近世)


兵庫県>相生市

 江戸期〜明治22年の村名。赤穂郡のうち。天正15年岡山城主宇喜多秀家領。慶長5年姫路藩領,同18年備前国岡山藩領,元和元年赤穂藩領,寛文11年からは赤穂藩分家の旗本浅野氏の知行。村高は,「正保郷帳」290石余うち田250石余・畑40石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)302石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに305石余。文久3年の惣高并家別人別取調書によれば,家数65・人数286(相生史話)。当村の北部山麓を通る山陽道には立場が置かれ,鶴亀村とも通称された。鶴亀とは入鹿淵と称する池の別名が鶴亀池であることによるが,この地名の由来と立場の様子は,弘化2年の「長崎紀行」に「鶴亀村,人家20余,茶店あり,立場なり,村の入口に赤穂道の標石あり,右側に鶴屋千蔵といへる茶店あり,ここに鶴亀石と名付く奇石を所蔵せり,村の名もこれよりの称なりといへり,奇石を一見するに島石にて石理自然に鶴亀松竹梅の形をあらはせり」とあり,この石は入鹿淵から拾い上げたものといい,明治中頃まで鶴屋・亀屋と称する宿屋があって栄えたという。明治14年の戸数70・人口356,田37町余・畑2町余・宅地2町余・山林135町余など合計180町余,地価2万3,839円余・地租596円余(播磨国地種便覧)。同15年赤穂警察署入野分署設置。同17年の地誌取調簿によれば,村社須賀神社・同三社宮・同金刀比羅社,京野尾庵があり,戸数68,多くは農業を営み,農暇に薪を採り,婦女は布木綿を織るとある(旧若狭野村役場文書)。同22年若狭野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388158
最終更新日:2009-03-01




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