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- 岩井村(近世)とは
「岩井村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 岩井村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 岩井村(近世) 江戸期~明治10年の村名平群【へぐり】郡のうち竜田川の東岸,矢田丘陵の緩斜面に位置する地名は弘法大師空海ゆかりの井戸岩井に由来するものか「慶長郷帳」には「いはい村」,「元和郷帳」には「いわひ村」と見えるはじめ竜田藩領,寛永16年幕府領,寛文5年からは村高のうち99石2斗が楽人領となり,幕府領と相給楽人領とは,南都楽所(南都寺社に奉仕した狛姓の楽人)の領地のことである村高は,「慶長郷帳」「元和郷帳」「寛永郷帳」「寛文郷帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」いずれも126石余ほかに小物成として山年貢・茶年貢合わせて2斗があった(郷陵通計)鎮守は八幡神社,古ノ宮とも呼ばれた境内には延宝6年の年紀のある石灯籠が残る寺は融通念仏宗大念仏寺末の光明山念仏寺があり,本尊は阿弥陀如来立像境内の東側の崖には,鏨の跡の残る岩が露出しているほかに八幡神社の境内に神宮寺として長祐寺があったが,明治初年に廃寺となっているまた念仏寺の近くには「岩井」があり,空海が平群の里を巡教の折,手ずから修行の水を汲み上げたと伝える井戸の脇には天正9年10月の銘の残る磨崖仏がある明治10年三里村の一部となる... |
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![]() | 岩井村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
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![]() | 岩井村(近世) 江戸期~明治初年の村名津軽郡田舎庄のうち津軽平野南部,岩木川の支流平川の右岸に位置し,西に五所川原堰が流れる弘前藩領もとは松の木村と称し,藤崎村の枝村であったが(天和4年藤崎村絵図),貞享4年岩井村と改称し(平山日記),享保11年藤崎村から分村して独立した村となる(村名改称并新村創立調)村高は,「貞享4年検地水帳」125石余,「天保郷帳」65石余,「旧高旧領」143石余「貞享4年検地水帳」では,反別田畑屋敷合わせて18町余,小字に「冨永・二本柳・若松・岡本」がある明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年藤崎村の一部となる現在の藤崎町藤崎字松野木にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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