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- 岩熊村(近世)とは
「岩熊村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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岩熊村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩熊村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
岩熊村(近世) 江戸期~明治9年の村名宇土【うと】郡のうち木原山(雁回山)西端に位置する「藤公遺業記」には「岩熊村の内,山付に鯛釣岩と云地名有」と見え(肥後文献叢書2),昔は海が入り込んでいたと考えられる村名のイワは岩,グマは隈ですみの意で,集落の立地条件を示すものとみられる熊本藩領村高は「旧高旧領」137石余「肥後国誌」によれば,松山手永に属し,高137石現公民館敷地内に観音堂があり,十一面観音菩薩立像を安置,宇土巡礼三十三か所第7番札所となっているまた村外れに,江戸相撲に出たという関取関の水を祀る小さな石祠があり,傍らには水神の碑がたっている熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年岩古曽村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」