ケータイ辞書JLogosロゴ 岩野辺村(近世)


兵庫県>千種町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国宍粟【しそう】郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,元和元年山崎藩領,慶安2年幕府領,以後延享元年〜同3年出羽国山形藩領,宝暦2〜13年上野国高崎藩領,明和6年〜文政11年尼崎藩領となったほかは幕府領。村高は,「正保郷帳」773石余うち田636石余・畑136石余,延宝検地帳874石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに875石余。延宝検地帳では総反別67町。文政3年の家数147・人数658。享保年間地内荒尾,宝暦年間内海【うつのみ】のたたら操業が始まり,近辺の平岩・九折山・溝口などで鉄穴流しが行われた。村人は作間稼ぎに鉄穴流しや炭焼・鉄山荷物の運搬などに従事し生計の足しにした。また製鉄用炭木に村山や百姓持ちの山の木が売れ,天明年間には年毎に銀15匁の運上を納めており,さらに砂鉄を採集し鉄山元へ売って年貢銀や村入用に充てている。享保17年凶作による年貢銀納願のため江戸表へ越訴する一件が起きているが,年貢減免を歎願するのではなく,銀納願となっている点は鉄山と村との経済的な関係を示しているといえる。鎮守は二宮神社。その境内に紀州新宮熊野速玉神社から勧請した岩野神社がある。境内に農村舞台もある。寺院は真言宗石原山福海寺。明治15年鉄山が終焉。鉄山労働者のほとんどは同21年までに,まだたたら製鉄が続いていた大茅・上斉原(現岡山県)の鉄山,生野・明延などの鉱山へ移住。同22年千種村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388190
最終更新日:2009-03-01




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