ケータイ辞書JLogosロゴ 上田村(中世)


兵庫県>社町

 戦国期に見える村名。播磨国加東郡福田保のうち。天文19年2月25日付の光木家次寄進状の端裏書に,「福田之内上田村より光木孫右衛門」とある(清水寺文書)。寄進地は堂之芝の西の30代の田地である。社町上田には大芋神社の神主石井氏が石清水八幡宮から来住したとの伝承が残っており(加東郡誌),同宮領福田保内であることを暗示している。永禄10年4月24日の大芋神社社殿上葺本願人として服部出雲守が見え(社殿納歴代写/同前),文亀2年に福田保時元名を違乱した服部小三郎の子孫と考えられる。また時元名の名主に関わりがあるかと思われる時本氏を称する家が現存する。時元名の遺称地字時ノ本は社町野村にある。野村には字堂ノ芝もあり,当時の上田村は野村の一部を含んでいた可能性もある。上田には,往古七堂伽藍を有し最も荘厳を極めた歓喜山阿弥陀寺があったという(加東郡誌)。福田寺にあたるか。上田構居は加古川と経ノ川との合流点に作られた城で,河合郷蓬莱野の構ノ城の枝城だという。加茂川城とも称する。加古川という大河川沿いに位置しながら,その水利を受けることのできない土地であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388246
最終更新日:2009-03-01




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