上田中(近代)
兵庫県
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市川町
明治22年〜現在の大字名。はじめ川辺村,昭和30年からは市川町の大字。明治24年の戸数45,人口は男104・女118。東の山(通称灰山)から石灰石が採掘され,生石灰の製造が行われた。主に稲作肥料として近郷に販売され,川辺村の財源として重要な産業であったが,昭和20年代に廃坑となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388250
最終更新日:2009-03-01
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