ケータイ辞書JLogosロゴ 魚崎村(近世)


兵庫県>高砂市

 江戸期〜明治9年の村名。印南郡のうち。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」981石うち田704石余・畑273石余・加茂大明神社領3石,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,543石余。慶長播磨国絵図(天理図書館蔵)によると,当地は魚崎・新屋敷・東村に分かれて見える。なお,「天保郷帳」には当村枝村魚崎新村があり,江戸末期までに同村を分村したと思われる。寛延2年には塩浜8町余があり,運上銀904匁を上納,また水主が24人分の水主米31石余・蘆年貢2石余などを上納(村明細帳控)。用水は加古川本流からの上部【うえべ】井堰であったが,用水路の末端部に位置し,しばしば干害を被ったため,金時宗五郎・庄屋中村五郎右衛門が,文化年間から天保2年にかけて金時井堰を開削した(増訂印南郡誌)。魚崎川(洗川の別称)の河口に位置し,海運が盛んで,廻船(1,100石積)1・小船(12〜100石積)27・艜船42・御用馬渡船1・渡し船1・橋船6・石船1があり,渡守給4石が給された(村明細帳控)。寛延2年の村明細帳控によると,家数735・人数2,933,職業人数は医師2・大工11・酒屋3(うち休株2)・桶屋2・鍛冶2・左官3・木挽2・網屋3・石切3・塗師1でほかに作間商人がある。文政年間〜幕末にかけて綿業も盛んで,天保年間には木綿仲買7名,安政6年には篠巻挊人9名,慶応2年篠巻取締として安福弥八の名が見える(姫路藩綿業経済史)。神社は加茂大明神(慶応年間社領3石),ほかに春日大明神・王子権現社・恵美酒社(村明細帳控)。寺院は浄土真宗の真浄寺・延寿寺・西秀寺と真宗大谷派常念寺。真浄寺には曽我蕭白の襖絵などが残されている。明治5年渚井小学校を常念寺に開設,また松東小学校を西秀寺に開設したが,同6年渚井小学校に合併(高砂市史伊保篇)。同9年伊保崎村と改称。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388296
最終更新日:2009-03-01




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