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魚屋町(近世)


 江戸期~明治22年の町名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7388312]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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魚屋町(近世)

江戸期の町名犬山城下町方12か町の1町城下町の東西に通ずる重要な道路沿いに位置する西は横町,東は築地で余坂木戸(善師野口木戸)があり,南は寺内町,北は新道この付近は城下町の中でも有数の商人街で,魚屋商人が多く集まっていた犬山城下では,南北の本町通りと東西の魚屋町・余坂筋が商業の中心街で,特に東西筋は善師野宿方面の客でにぎわった地子免許の代わりに日役8人分と木戸掃除役を勤めたなお当町南に接して枝町があり,古くは熊野町,寛永年間からは当町に属し,明治維新後に分離した犬山祭への山車は,枝町も1両出し,計13両であったまた枝町には日蓮宗妙海寺・本光寺などがあるまた余坂木戸際から寺内町木戸際までは,もと矢場であった(犬山里語記)北側東寄りに新道への入口がある中程に津田氏の大門口と呼ぶ所があり,成瀬氏重臣津田与左衛門の屋敷があったというここから木曽川の二符の渡し(現臨江館付近)へ通じる道もあったが,江戸期に入って廃止された

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

魚屋町(近世)
 江戸期~明治22年の町名...

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魚屋町(近世)
 江戸期~明治22年の町名...

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魚屋町(近世)
江戸期~明治7年の町名小浜町の1町町名の由来は,魚を商う町であることによる(稚狭考)安良町・本町・北本町・塩屋町と接し,北側は海浜(拾椎雑話)本町へ抜ける通りがあり,七間町と呼ばれた(同前)町内には小浜藩の昆布を一手に扱った天目屋があり,藩御用達の昆布を松前から敦賀湊を経て小浜まで運んだ(山名家文書)寛永17年の夫代銀では上町に位置付けられ,坪あたり2分2厘5毛とされている(江口夫右衛門覚書)また,嘉永元年の願文証文并諸事控によれば区分が東・中・西に変わり,当町は東に格付されているなお,寛文11年6月藩主の前で五番弓持として祇園会の練物を,延宝7年には八番として弓持の練物を,同8年6月の祇園会には安良町とともに湯立の山車を出している享保4年7月1日の夜本町から出火し,当町も類焼(拾椎雑話)明治6年の戸数49同7年塩竈町の一部となる...

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魚屋町(近世)
江戸期~明治10年の町名伏見町のうち北組本町12町の1つ津知橋通に面し,京通(本町通)より西,鍛冶屋町より東に位置する町名は「府地誌」によると城下町時代に魚介の市があったことによるという豊公伏見城ノ図では津知橋通の北側は東から玉置・遠藤・信濃守の各屋敷,南側は東部に北条安房守屋敷,西部に九鬼長門守屋敷がある寛文10年山城国伏見街衢並近郊図によると,北魚屋町と記され津知橋通の両側にまばらに民家が描かれ,南側は空地が占める安政年間には北側に和泉屋八郎兵衛,森口屋半右衛門,尼僧貞了の3戸と檜波屋善右衛門の所有宅地があり,南側はすべて空地であったと伝える(新市域各町誌)天保頃の軒数は31軒(伏見町誌)明治元年15番組,同5年伏見第2区,同7年第1区に所属同10年堀内村に編入...

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魚屋町(近世)
 江戸期~明治22年の町名...

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魚屋町(近世)
江戸期~明治12年の町名江戸期は熊本城下坪井町新坪井町懸の一町加藤清正が城下町建設の時,往時の国府で,隈本時代の城下町二本木付近から,商工業者を城の北東部坪井にも移転させて開いた町人町の1つ府中案内道矩(県立図書館蔵文書)には「魚屋町,塩物町中程ヨリ北ヘ入ル米屋町ノ東裏町」と見える米屋町(現上通町)から東側に入った細小路にあたり,鮮魚や塩物を商う店があった裏町と想像される寺院に,慶長5年宗岳寺開山玄雪開基の曹洞宗宗岳寺末延命山地蔵院があった本尊の地蔵尊は俗に野中の地蔵とも,草分地蔵とも称されたという(肥後国誌)明治12年南新坪井町の一部となる...

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魚屋町(近世)
江戸期~明治初年の町名八代【やつしろ】城下八代町の一町で町人町八代城の南に位置する八代城下の幹線である東西に通じる縦町の本町を左折すれば街道筋横町を経て札の辻の舟渡に至り,右折すれば八代城の大手門に通じる四つ角を西方に直進する所に開けた町屋街町名は,町の大部分を魚屋が占めていたために生じた東部の二ノ町の枝町として発生した上魚の棚町に対し,下魚の棚町とも呼ばれた中島町係に所属文化元年の町屋配置図では,本町・細工町・釜屋町(金屋町)・桶屋町と合わせて家数186(八代市史)明治初年西本町の一部となる現在の八代市本町1~4丁目のうちにあたる...

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魚屋町(近世)
江戸期の広域町名宮津城下六町組の1組町組の構成は,魚屋町・籠ノ谷(貞享4年小川町と改称),追掛町・東堀川・西堀川が,そしてのちに東新浜(魚屋町新地)が加わった家数は,寛文6年182軒,元禄16年187軒,寛保4年182軒(1,102人),宝暦年間120軒余,明治維新以前192軒(宮津旧記・宮津府志・丹後宮津志)貞享元年に質屋を営業する者は11人おり,同2年の年寄苦労米は3石8升3合で,ほかに籠ノ谷分4斗1升があった天和2年に当組は御用金300両を藩へ上納した元文5年には伊勢へ抜け参りをする者が魚屋町・小川町で110人いたという(宮津日記)...

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魚屋町(近世)
江戸期~明治5年の町名江戸期は大坂三郷天満組のうちもと新魚屋町と称した(初発言上候帳面写/大阪市史5)天神橋筋1筋西,天満宮裏門前通りから南の町(宝暦町鑑)元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば,家数20軒,役数22,うち無役数2(年寄・会所),年寄は北野屋忠兵衛文化4年の買米に際して,1,000石宛担当者中に当町の魚屋又兵衛・鍵屋伊兵衛の名が見える(摂陽奇観/浪速叢書5)明治2年大阪北大組に所属同5年南森町となる...

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魚屋町(近世)
江戸期~明治12年の町名江戸期は熊本城下坪井本坪井町懸の町人町一丁目の南に位置した俗に布屋町【ぬのやんちよう】と称されるそれは開市に際し,最初に住着した布屋甚四郎の屋号によるというまた布屋が奉じてきた天神が,今も布屋屋敷跡に祀られており,俗に布屋天神と称されているが,この天神のおかげで布屋だけは火災にあわなかったという(肥後国誌)明治12年西外坪井町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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