ケータイ辞書JLogosロゴ 歌長村(近世)


兵庫県>温泉町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国二方郡のうち。天正11年因幡国鳥取城主宮部氏領。慶長6年同国若桜藩領,同10年旗本宮城氏の知行。寛永20年幕府領,寛文8年からは豊岡藩領。村高は,文禄3年検地という二方郡古高帳136石余,寛永4年の二方郡高帳新高238石余,「但馬国知高帳」267石余,「天保郷帳」183石余。村高は宮城検地によって2度の引上げが行われたが,宮城氏断絶後は旧高の136石余となる。枝郷に高山・数久谷がある。特産物は但馬牛。当村で育成された「ガンクラ蔓」は資質が優秀で改良の素牛となった。鎮守は集落ごとにあり,歌長は歌長神社で古くは妙見宮と称した。高山は五社大明神,数久谷は山の神大明神を祀る。寺院は天台宗正福寺と真言宗善住寺。明治22年温泉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388353
最終更新日:2009-03-01




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