ケータイ辞書JLogosロゴ 内ノ倉新田(近世)


兵庫県>加古川市

江戸期〜明治8年の村名印南【いなみ】郡のうち西原山山麓の盆地状地形に立地「印南郡誌」によると,原村の西方の山麓の西原は剣客内蔵新左衛門の開拓・居住した所とあり,通称西原と呼ばれている辺りが内之倉新田の比定地ただし,「印南郡誌」によれば,その後内蔵新左衛門は内之倉の住民全部を率いて西山村に移住しており,江戸期の当村はこの移住後に開発された新田である字西原山と称する山林には墓地跡があり,小石仏とともに鎌倉期のものと見られる板碑が所在(鹿児41)姫路藩領村高は,寛文4年検地帳95石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに104石余この石高は上記の内之倉の住民が西山に移住したのちのもので,もとは内之倉池という小畑村・西山村・中村・里村・芝村・山角村・神木【こうぎ】村の立会池を埋め立てて開発したものしたがって7か村立会地であり,住民はいないこの開発は寛文元年で,内之倉池の代わりに中山新村の権現池・泉池を築造している(寛保2年村明細帳)明治8年原村に合併(前川家文書)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388374
最終更新日:2009-03-01




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