ケータイ辞書JLogosロゴ 宇野荘(中世)


兵庫県>南光町

 鎌倉期〜戦国期に見える荘園名。佐用郡のうち。文永3年と推定される6月25日の某書状に「隆信禅師下向候上者,於宇野庄并伝教院等者,悉可為彼沙汰候乎」と見える(内閣本大乗院文書/鎌遺9601)。年月日未詳の久我家領目録に「播磨国 宇乃庄 飾磨庄」と見え,当荘は久我家領であった(久我家文書)。その後,「山科家礼記」文明4年10月29日条に「当知行相違所々」として「一,同(播磨)国都多村・宇野・上野公用一向無沙汰候也」と見え,当荘は山科家領となっていたが,不知行地となっていた(纂集)。また,室町期と推定される年月日未詳の大金剛院領目録に「播磨国宇野庄」と見える(大覚寺文書)。当荘の伝領関係は不明。文明16年12月11日山名政豊は山内豊成に「播磨国佐用郡宇野庄内拾分弐」を宛行っている(山内首藤家文書/大日古)。当地には赤松氏の一族宇野氏がおり,いま城山会館の地にあった米田城は,別名熊見城,また宇野城ともいう。江戸期の宇野荘は,上月【こうづき】町櫛田,三日月町大畑・三尾,南光町奥多賀・口多賀・中島であるが,このうち上月町櫛田は中世の櫛田荘に比定される。現在の南光町下徳久・米田・中島・多賀などを含む同町南西部に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388408
最終更新日:2009-03-01




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