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- 馬田村(近世)とは
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![]() | 馬田村(近世) 江戸期の村名杵島【きしま】郡のうち白石【しろいし】平野,六角川南岸に位置する佐賀本藩領白石秀郷に属す「宝暦郷村帳」で小村に郷司給村がある村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに463石余,「天保郷帳」では583石余,「旧高旧領」には見えない近世初頭竜造寺信周が須古城に居を構えて以来,須古鍋島氏の知行地となる給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では鍋島市兵衛298石余,「大小配分石高帳」では鍋島安房298石余地名は,鎮守の妻山神社に奉納する良質の神穀を産した神田があり,これを美田【うましだ】と称したものが転化して馬田になったという(白石町史)寺院は曹洞宗長命寺長崎脇街道設定前,小田宿(現江北町)から分岐した往還は六角川の馬田の渡しから村内を通って,須古町・高町に至った街道脇には馬田の宿があり,旅籠・茶屋・酒屋などが立ち並び繁昌したまた馬田宿から南東の多田村・日野目村を経て高町に至る脇往還は殿【とん】さん道といわれた(白石町史)なお六角川は昭和35年頃まで船渡しが行われていた村内には条里制遺構が残存する「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに馬洗【もうらい】村の枝村に見える「明治11年戸口帳」によれば,馬洗村のうちに「馬田村」と見え,戸数55・人口219 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」