ケータイ辞書JLogosロゴ 上山村(近世)


兵庫県>城崎町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国城崎【きのさき】郡のうち。はじめ豊岡藩領,承応2年幕府領,寛文8年豊岡藩領,享保11年からは幕府領。村高は,「但馬国知高帳」横山本・「国高一紙」ともに88石余,「天保郷帳」114石余。当村には寛政の三博士といわれた儒者柴野栗山によって命名された名勝玄武洞,「無限水」と呼ばれる清水などがあり,豊岡藩の茶屋も置かれた。当村の主な産物は,大根・甘藷・薪・楮など。鎮守は,青山神社・天神社。青山神社は明応7年山津波のため現在地に移転したという。天神社は慶長13年雪解けの大水で上流から神体が流れてきたものを祀ったものという。明治7年の村限調書によれば戸数54・人口350,牛5,舟33。同11年飛地整理が行われた際,当村と簸磯【ひのそ】村との間に境界論争が起こり訴訟にまで発展した。同16年和解し,簸磯村を合併。同22年内川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388443
最終更新日:2009-03-01




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