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- 宇原村(近世)とは
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宇原村(近世) 江戸期~明治初年の村名高井郡のうち宇原川流域に位置し,東から南に灰持山がある地名の由来は,昔,京都の弥生宇原の卯之原左近大夫という者が諸所放浪ののち,保科【ほしな】村を経てこの地に来,ビクニ清水の辺りに落ちついたこの卯之原氏が宇原開拓の祖で,故郷の地にちなんで宇原と名づけたのではないかという(宇原村誌)慶長5年森忠政領,同8年松平忠輝領,元和2年から松代藩領村高は,「慶長打立帳」35石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに36石,「天保郷帳」42石余,「旧高旧領」44石余地内に諏訪社・飯綱社・毘沙門堂・薬師堂などがあった(仁礼誌)「県町村誌」に寛文6年に仁礼村に合併したとあるが不詳明治初年までには仁礼村に合併されたものと思われる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」