ケータイ辞書JLogosロゴ 永門前村(近世)


兵庫県>吉川町

江戸期〜明治5年の村名播磨国美嚢【みなぎ】郡のうち門前村ともいった美嚢【みのう】川支流吉川【よかわ】川流域地名の由来は,永天寺の門前であることによる(美嚢郡誌)慶長5年姫路藩領,元和3年明石藩領,宝暦12年からは下総国古河藩領村高は,「正保郷帳」では「ゑいの門前村」とあり55石余うち田43石余・畑11石余,「天保郷帳」「旧高旧領」でもともに55石余なお,「元禄郷帳」には「古ハ門前村と申候,永門前村」と見える元禄7年沖村・早田村とともに栃谷村を相手に鉾立原野の境に関する山論を起こしている同原野については,享保17年・文政13年にも争論となっている(吉川町誌)曹洞宗吉河山永天寺は正中年間の開創はじめ明石藩によって村内の寺領と諸役免許が認められていたが,幕府領となってそれまでの黒印地が除地に変えられたこのため,のち除地をめぐって,永天寺と永門前村との間に争論となった(同前)明治5年楠原村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388489
最終更新日:2009-03-01




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