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- 餌差町(近世)とは
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餌差町(近世) 江戸期の町名江戸期は松本城下のうち町人町下横田町の枝町長さ1町34間余・町幅3間の足軽屋敷町町の出口には木戸があり,町番人が守っていたここは城下の東出口にあたっていたので北側には十王堂があり,山辺道に続いていた「松本市史」に「藩主より狩猟用の鷹の餌に用ふる小鳥を産す足軽を置きたり」とあり,これが町名の由来であるまた,富坂町・小川町とも呼ばれた明治初年までに下横田町に吸収されたと思われるが,不詳 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
餌差町(近世) 江戸期の町名徳島城下富田の武家町の1つ文化9年の島々丁名改目録に見える土佐街道近くに位置し,西は二軒屋町北に,南北の町筋の鷹匠町が続く現在の富田橋の一部にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」