ケータイ辞書JLogosロゴ 江尻浦(近世)


兵庫県>西淡町

 江戸期〜明治10年の浦名。淡路国三原郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。天正14年の淡路国御蔵入目録に見える「ひかしこつろ(東古津路)」170石は当浦に比定される(脇坂文書)。慶長15年池田忠雄領,元和元年からは阿波国徳島藩領。村高は,「郷帳下書」520石余,「天保郷帳」617石余,「旧高旧領」692石余。「味地草」によれば,地高655石余,家数132。海に面していない江尻村が加子役を課される浦に改められたのは元禄5年以後とみられ,加子役は28人半(三原郡史)。庄屋組は塩浜組に属した。鎮守は隣村北方村の高八幡神社。神社は蛭子社,寺院は浄土宗江善寺。江善寺境内に高麗陣討死衆碑がある。これは文禄元年7月7日閑山島沖の海戦で朝鮮李舜臣の水軍に敗れたが,その時脇坂水軍に徴用され,戦死した加子30名の供養碑。水利は川掛りと池掛りで,池には新池(江尻池)がある。倭文川に架けられた高橋のそばに,潮清水または楠の井・六角井戸と呼ばれる井戸があり,大旱にも枯れないという。反正天皇誕生地と伝える産宮神社(櫟田村)に近いので,瑞井の跡といわれる(淡国通記)。倭文川が三原川に合流する地点に松島という字名があり,明治前期まで小島があった。明治10年瑞井村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388503
最終更新日:2009-03-01




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