ケータイ辞書JLogosロゴ 円行寺村(近世)


兵庫県>三原町

 江戸期〜明治10年の村名。三原郡のうち。慶長15年池田忠雄領,元和元年からは阿波国徳島藩領。加集組に属す。村高は,「郷帳下書」137石余,「天保郷帳」153石余,「旧高旧領」197石余。当地周辺はもと円鏡寺原と呼ばれる原野で,江戸期に開墾が進み青木村・富田村などの村が成立した。寛永4年の検地帳(三原町中央公民館蔵)によれば,田6町9反余・畑4町3反余で計11町2反余,高111石余。「味地草」では,高154石余うち給人の知行地29石余,家数28。文化3年の棟付帳(同前)によれば,家数28・人数118,馬4・牛15。当村の北部を洲本福良官道が通る。円行寺廃寺跡は官道の南にあり,阿弥陀堂がある。寺域から延文2年銘の同寺の鰐口が出土したが(味地草),現在所在不明。鎮守十一神社は唐門台の森に鎮座する。明治10年市村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388536
最終更新日:2009-03-01




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