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- 邑美郷(古代)とは
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邑美郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」播磨国明石郡六郷の1つ東急本の訓は「於布美」,高山寺本の訓は「於保美」「万葉集」巻6に「稲見野能 大海原笶」と見える「続日本紀」神亀3年10月甲寅条に聖武天皇が「印南野邑美頓宮」に行幸した記事が見え,播磨国郡司百姓らが供奉したという平安期成立の「住吉大社神代記」によれば,明石郡魚次浜を住吉社領とし,この一帯を藤江と号すが,この藤江について「自明石川内上神手山・下神手山至于大見小岸」をことごとく神領としたと見える(住吉神社文書)なお,江戸期には西岡村の枝村に大見村がある現在の明石市の魚住町を冠称する地域と神戸市西区岩岡町古郷一帯に比定される(地名辞書) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
邑美郷(古代) 平安期にみえる郷名石見国邑智【おおち】郡のうち「和名抄」に「邑美 於布美」とみえる邑智五郷の1つ「和名抄」のほかに関係文書がなく,その所在は明らかでないそのため邑智の誤りではないかとして,邑智三か村と称した矢上・中野・井原(現石見町)を中核に川本・因原【いんばら】・川下【かわくだり】・三俣【みまた】・湯谷(現川本町),大貫【おおぬき】・渡利・鹿賀【しかが】(現桜江町),祖式【そじき】(現大田市)に比定する説もある(邑智郡誌)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」