ケータイ辞書JLogosロゴ 大国村(近世)


兵庫県>加古川市

 江戸期〜明治22年の村名。印南郡のうち。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」582石余うち田539石余・畑42石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)582石余,「天保郷帳」697石余,「旧高旧領」698石余。集落は洪積台地上にあり,耕地の大部分は台地上にあるが,一部は加古川の沖積平野にある。用水は加古川より水を引いた上部井堰,法華山谷川よりの薬師井堰,池は西村の新櫃池,宮前村の大池を利用。寛保2年宮前村明細帳によると,新櫃上之池には西村・大国・長慶の3つの分石があったが,元文4年に下之池の水越に大国村が細工したため水論が起こったという。鎮守は宮前村の妙見社(神吉八幡社)。村内にある妙見社(八幡社)は宮前の妙見社の御旅所といい,社記に下の宮とある。ほかに大歳社・金毘羅社などがある。寺院は浄土宗聖徳山常福寺で,本尊阿弥陀如来はもと中西村高井景明寺にあったという。片目に落涙の跡があるのは,昔神吉民部大夫が甥を殺害した時に始まると伝える。明治5年常福寺の庫裏で啓蒙小学校開設。同14年の戸数132・人口446,田48町4反余・畑3町2反余・宅地3町4反余・山林2町4反・林5反余(播磨国地種便覧)。同22年西神吉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388663
最終更新日:2009-03-01




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