ケータイ辞書JLogosロゴ 大久保村(近世)


兵庫県>三原町

 江戸期〜明治10年の村名。淡路国三原郡のうち。慶長15年池田忠雄領,元和元年からは阿波国徳島藩領。「郷帳下書」342石余,「天保郷帳」417石余,「旧高旧領」460石余。「味地草」では高447石余,家数80。水利は大門池(馬廻村)掛りと川掛り。安国寺の門前にある門前池は,慶安5年新庄村の金森検校の築造と伝え(淡路草),鳥井村の用水池。村内には同池をはじめ大小15の用水池があった。文政年間庄屋武田善太夫が陶工を呼び寄せて始めた大久保焼は,現存する作品数が極めて少なく,窯跡も開発によって失われ,現在では幻の焼き物になっている(三原郡史)。大久保踊は天明年間から伝えられているという。鎮守は愛宕山にある若宮神社。佐保にある真言宗金剛寺は天明4年に国分(国部)村から移されたもので,古くは大榎並【おおえなみ】村の威光寺とともに三原郡の真言宗寺院の総本山であったという(味地草)。境内には康永2年の町石五輪卒塔婆がある。明治10年天野村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388672
最終更新日:2009-03-01




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