ケータイ辞書JLogosロゴ 大田郷(古代)


兵庫県>太子町

 奈良期〜平安期に見える郷名。「和名抄」播磨国揖保【いいぼ】郡十九郷の1つ。東急本の訓は「於保多」。「風土記」揖保郡の項に「大田里」「大田村」が見え,里内に言挙阜【ことあげおか】・鼓山を記すが,言挙阜は遺称地がなく,鼓山は「播磨鑑」に見える楯鼓原【たてはら】が遺称地で,太田原の北山付近と考えられる。東は飾磨郡,北は邑智里,西は枚方里,南は大家里と境を接する。「風土記」の鼓山の地名説話に人名「神人腹太文」が見えるが,腹は原の意であろう。江戸期に原村がある。大家里の項に「大田村与富等地」が見えるが,「与富等【よふと】」は現在の姫路市勝原区丁が遺称地で,古墳時代中期の前方後円墳瓢塚がある。また姫路市勝原区下太田には,白鳳期の下太田廃寺跡があり,五重塔の礎石が現存する。「峰相記」(続群28上)や「播州名所巡覧図絵」には「太田寺」とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388728
最終更新日:2009-03-01




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