ケータイ辞書JLogosロゴ 大谷山村(近世)


兵庫県>三木市

江戸期〜明治9年の村名播磨国美嚢【みなぎ】郡のうち美嚢【みのう】川支流志染【しじみ】川に合流する大谷川流域地名の由来は,大谷山伽耶院の寺院名によるもと豊臣氏蔵入地慶長5年姫路藩領,元和3年明石藩領,同7年幕府領,宝永7年上野国館林藩(天保7年から石見国浜田藩)領,天保13年からは再び明石藩領村高は,「正保郷帳」では大谷山66石余ですべて田方,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵),「天保郷帳」ともに118石余,「旧高旧領」では大谷山領118石余嘉永5年の「播磨国三木郡志」によれば,田の反別4町1反余,高66石余ほかに大谿寺御朱印52石,家数20・人数86,牛13,寺院は天台宗大谷山大谿寺伽耶院伽耶院は本尊が毘沙門天で法道仙人作,両脇の不動は運慶作,三宝荒神は安阿弥作行者堂の前に採灯護摩壇があって,今も毎年10月20日に国家安全の祈祷を行う同寺は大化元年法道仙人の開基,孝徳天皇の勅願所であった(当時は130坊という)が,三木城主別所長治の祈願所となる(当時は76坊)天正年間の兵乱で羽柴秀吉により焼き払われ所領も没収されたが,その時の住僧隆恩が中興,慶長6年池田輝政より先規のとおり高32石ならびに諸役が免除される慶長14年焼失,慶長15年金堂再建,寛永6年明石城主小笠原忠政によって不動堂・護摩壇以下の諸具が寄進され,あわせて高52石(のち御朱印)・山林竹木諸役免除を受ける貞享2年徳川綱吉によって東一坊の号が改められ,院室に列して伽耶院の称が下賜された(寺中6院あり,教学坊・慈性院・東林坊・中ノ坊・南ノ坊・松本坊という)明治9年御坂村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388761
最終更新日:2009-03-01




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