ケータイ辞書JLogosロゴ 大塚町(近世)


兵庫県>三木市

 江戸期〜明治初年の町名。々掌祐は三木町の町方の1町。上5か町に属す。江戸前期に当町に接する年貢地が新たに大塚町として分離する。文化元年三木町家別人数並諸商売書上写(三木市有古文書)によれば,家数137・人数302。弘化2年家数取調帳(同前)では家数64,年貢地(地方町)に建家は見られない。嘉永5年の「播磨国三木郡志」によれば,神社は戎社・大日堂・愛宕社,寺院は浄土宗無量山極楽寺。極楽寺は延徳元年大誉上人の創立。明治初年赦免地である町方の大塚町と年貢地である地方町の大塚町が合併して大塚町となる。江戸期は三木町の地方町の1町。延宝年間地方町の編成替えが行われ,町方の大塚町方面の年貢地を地方町の大塚町とする(三木市有古文書)。なお,江戸前期は三木平山(平山町)の一部として扱われた。町制としては地方町大塚町であったが,郷帳類では大塚町と大塚町侍屋敷に分離していた。高は,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)では「古平山町,大塚町」とあり256石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに258石余。また,嘉永2年地方町方奥印之趣御取調一件控書(三木市有古文書)によれば276石余。嘉永5年の「播磨国三木郡志」によれば,田の反別6反余,高226石余とある。明治初年赦免地である町方の大塚町と年貢地である地方町の大塚町が合併して大塚町となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388776
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ