ケータイ辞書JLogosロゴ 岡村(近世)


兵庫県>大河内町

江戸期〜明治11年の村名播磨国神西郡のうち市川上流域,播但中央山地中央部に位置する地内には五輪塔が散在,嘉吉の乱以後戦国期に至る数度の合戦跡と地元ではいう往昔洪水のため住民は山麓に逃避し,それ以後山麓に居住するようになったと伝えるはじめ姫路藩領,寛永17年因幡国鳥取藩領,寛文3年福本藩領,同6年旗本(福本)池田氏知行,貞享4年からは旗本(吉富)池田氏知行村高は,「正保郷帳」253石余うち田215石余・畑38石余,「天保郷帳」265石余,「旧高旧領」268石余文久3年当村の源四郎が江戸に行く途中,遠州榛原【はいばら】郡上菊川村で行き倒れ死亡,埋葬謝礼として金200疋を送金した記録があるが,死亡から2か月を要している(吉岡家文書)明治4年御林山改帳によると,御林から甘地村川岸まで3里2町7間,それより飾磨津湊まで川路6里半,さらに東京まで海上凡180里と当時の材木搬出経路が示されている(吉岡家文書)神社は大歳神社・蔵王神社・八幡神社(明治22年大歳神社に合祀)寺院は黄檗宗妙楽寺明治11年大河村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388961
最終更新日:2009-03-01




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