ケータイ辞書JLogosロゴ 沖村新田(近世)


兵庫県>吉川町

江戸期〜明治5年の村名播磨国美嚢【みなぎ】郡のうち美嚢【みのう】川支流吉川【よかわ】川流域もと沖村の一部正保5年の地詰検地により沖村村内にできた荒地を,慶安4年奈良井村が再開発し,沖村高444石余のうち57石余が奈良井村への越石となったところが,延宝7年の所領替に際してこの奈良井村越石分が沖村新田と書き上げられたこれ以降,沖村新田は一村として扱われるが,本来奈良井村の支配に属するはずのところが,沖村の新田として年貢などの負担は二重に沖村にかけられたこのため沖村からたびたび訴願されたが,江戸期には訂正されなかった(吉川町誌)はじめ明石藩領,延宝7年からは幕府領村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに67石余明治5年豊岡村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7388994
最終更新日:2009-03-01




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