ケータイ辞書JLogosロゴ 奥村(近世)


兵庫県>和田山町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国朝来郡のうち。幕府領。村高は,「国高一紙」「天保郷帳」ともに192石余。安井谷の一番奥で,棚田が多く,水も冷たく反当り収量が少ないのに高免なので不満が蓄積していた。元文3年の朝来郡惣百姓一揆では,佐治右衛門が首謀者の1人として,江戸・京・大坂・但馬国中追放の刑に処せられている。鎮守は奥村神社(大正5年まで三波神社といい,水波女神という水の神を祀る)。大雨ごとに洪水の害に苦しめられたので同社を祀ったという。元禄年間までは,当地から1km奥に葛谷村があり,同村で祀っていた荒神社,才の神も移されている。かつては巨刹があったといわれ,泉源寺・宝性院・特有寺・奥坊・坊屋敷などの地名が残る。明治15年の戸数38・人口224。同22年竹田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389001
最終更新日:2009-03-01




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