ケータイ辞書JLogosロゴ 奥多々良木村(近世)


兵庫県>朝来町

江戸期〜明治8年の村名但馬国朝来郡のうち奥多々羅木村とも書く円山川支流多々良木川流域幕府領村高は,「国高一紙」147石余,「天保郷帳」149石余当村所有の山地は広大で,隣接する石田村・立野村・口多々良木村との山論が絶えなかった江戸期の山論文書が多数残っている臨済宗正法院の本尊は聖観世音菩薩村の南方の行者岳は江戸期から行者の行場として活用され,のち,明治13年修験行場として新開発されて面目を一新明治8年多々良木村の一部となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389029
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ