ケータイ辞書JLogosロゴ 奥谷村(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。八上奥谷村と称することも多い(元禄郷帳・天保郷帳)。もと豊臣氏蔵入地。慶長7年八上藩領,同13年からは篠山藩領。村高は,慶長13年丹波多紀郡桑田津之国帳295石余,「丹波国郷帳」295石余うち田267石余・畑28石余,元禄4年古高家牛数帳295石余,天明3年高附帳333石余,「天保郷帳」346石余。元禄4年古高家牛数帳では家数42,天明3年高附帳では家数60,人数男144・女123。高城山の西麓に曹洞宗柏隆山松谷寺があり,延宝2年畑久兵衛尉の開基。字乾谷坪に氏神春日神社があり,篠山初代藩主松平周防守康重崇敬の社という。寛文9年・文政13年再建の棟札がある。藤井家に天正15年の太閤検地の際の検地帳(同20年写)が残る。明治22年八上村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389030
最終更新日:2009-03-01




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