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「奥村」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

奥村


加古川の河岸段丘浄土寺野の南,万勝寺川の中流域...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7389065]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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奥村(中世)

鎌倉期~戦国期に見える村名備中国哲多郡新見荘のうち新見荘の下地中分の前提として作製されたと推定される文明8年2月28日の新見荘領家方奥村分正検田取帳案と同年月日の新見荘領家方奥村分作畠正検取帳案・新見荘領家方奥村分正検畠取帳案によれば,当時の新見荘は大きく分けて奥村・里村と称される地域に分かれていた(東寺百合文書ク)当村に対する検注は,検田が前年の12月26日から始まり翌年の2月8日に終了し,検畠は2月27日の読合分として正月18日から同29日にカタクレから三坂里までをまとめ,2月16日の読合分として正月30日から2月8日に渡田里からヤ谷までをまとめている当村内には坂本里・知屋里・東田口里・西田口里・三坂里・渡田里・吉野里・加摩里・足立里・タソ里・吉河里などの里名が見え,表題には領家方とあるが,同取帳は当村全域を対象としたものと推定されるなお,鎌倉中期当村は高瀬村と中奥村とに分かれた下って,室町期の寛正2年12月21日の備中国新見荘領家方年貢算用状(教王護国寺文書5)では,新見荘の年貢銭140貫500文のうち「庄除・三貫文 奥里神事足下行」とあり,当地付近に荘鎮守が勧請されていたものと推定される同4年新見荘の代官祐清が荘民により殺害されるが,同年と推定される8月27日の新見荘奥・里村百姓等申状では「おく・里村御百姓等」が新見荘三職に宛てて新代官下向を領主東寺に要求するよう依頼しており,これを受けて三職は同日付の連署注進状を作製して新代官の下向を願っている(東寺百合文書サ)また,同7年閏2月日の新見荘奥・里百姓等言上状案(同前)によると,前年から新見荘代官として下向していた祐成が豊岡方上分名に京上夫を申し付けたところ「新見庄奥・里御百姓等一同」に,同名は「夫をせぬ事ハ勿論にて候」として夫役を拒否している同年と推定される閏2月22日の新見荘代官祐成并三職連署注進状(同前)でも京上夫については「おく・里御百性申候分,といおか申候分,別紙ニ注進申候」とあり,当地百姓などの主張が東寺に伝えられている文明元年と推定される9月23日の新見荘三職連署注進状(同前)によると,前年から管領細川勝元により新見荘が幕府御料所とされたため寺町又三郎が代官として入部の機会をうかがっており,これに対して新見荘では「今月廿一日ニ,おく・里村おとこかす一人も不残罷出候て,御八幡にて大よりあい仕候て,東寺より外ハ地頭こもち申ましく候と,大かねおつき,土一きお引ならし候間」と,当村などの荘民を中心として大寄合を開き土一揆を引き起こしている文明2年と推定される8月16日の新見荘田所金子衡氏注進状(同前)によると,「おく村ハ当年大雪ニしミらせ候て,一かうなきよし申候」とあり同年は天候不良のため当村などの年貢収納ができない旨を伝えている現在の神郷町高瀬から新見市北部の坂本・千屋付近に比定される

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

奥村(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える村名...

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奥村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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奥村(近世)
 王府時代~明治41年の村名...

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奥村(中世)
 室町期に見える村名...

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奥村新田(近世)
 江戸期~明治22年の新田名...

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奥村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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奥村【おくむら】
(近世)江戸期の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

奥村【おくむら】
(近世)江戸期~明治10年の村名...

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奥村(近世)
江戸期の村名松浦郡のうち東松浦半島上場台地南部の丘陵に位置するはじめ唐津【からつ】藩領,慶安元年幕府領,同2年からは唐津藩領神田組に属す「慶長国絵図」では「奥村 赤坂ノ内」と見える村高は,元和検地高36石余(唐津市史),「正保国絵図」では30石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに38石余文化年間頃の田畑高37石余(古高30石余),畝数2町余,年貢率は4割2厘,家数5・人数20(男10・女10),馬2・牛4,氏神山ノ神の祭礼は11月15日(松浦拾風土記)村名の由来について,松浦佐用姫が当地を通った時,村人のもてなしを謝して1つの宝を大松の根元に埋め「ここに宝をおく」といって立ち去ってから,当地を「おく」と呼称するようになったという伝承が残るそのマツを佐用姫松と呼ぶ現伊万里【いまり】市黒川町の竜宮社に8月14日奉納される「もっこ踊」は,藩主寺沢志摩守が黒塩新田を開拓した慶長10年7月に始まるが,これは当村の庄屋中山氏が出役免除を謝し「もっこ」を持って踊った庄屋踊に起源をもつという(中山新蔵由来書)「郷村区別帳」では,神田【こうだ】村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,戸数8・人口48...

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奥村(近世)
江戸期~明治10年の村名因幡【いなば】国智頭【ちず】郡のうち千代【せんだい】川上流に注ぐ白坪川中流域の段丘状斜面に位置し,周囲を右手峠・穂見山に囲まれた山間地域鳥取藩領もと白坪村の枝郷であったが,享和3年新田村として幕府に届け出て分村した(藩史5)村高は,「天保郷帳」37石余,「元治郷村帳」42石余,「旧高旧領」42石余「元治郷村帳」の物成は10石余戸数は,「因幡志」12,「文久3年組合帳」14白坪村へ9町3間,美作【みまさか】国境へ13町40間(因幡志)元禄5年の地平帳では,田1町4反2畝・畑1反1畝宝暦7年の古林御改帳によると,林は21か所,9町7反1畝もと白坪村の枝郷であったため,分村後も村の牓示が決められておらず草山争論に及び,享保5年裁決が下り明確化された(県史9)嘉永5年若者連中が右手峠に道祖神を建立氏神は八幡宮社伝によると,承応3年智頭郡中原神社より分霊を勧請鎮座し,さらに寛文5年大和国春日神社分霊を勧請したという明治5年奥神社と改称ほかに辻堂・愛宕堂がある(因幡志)明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年白坪村と合併して西谷村となる...

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