ケータイ辞書JLogosロゴ 小路比村(近世)


兵庫県>関宮町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国七美【しつみ】郡のうち。もと八木氏領,のち宮部継潤・豊臣秀長領。文禄4年出石【いずし】藩領,慶長9年からは旗本山名氏知行(明治元年村岡藩領)。村高は,慶長6年の御知行目録・「国高一紙」「天保郷帳」ともに38石余。神社は,稲荷神社。同社は寛永年間当村の田中半右衛門によって勧請された。ほかに,地内薬師山に大師堂があり,薬師如来像・弘法大師像・十二神将像を祀る。薬師如来像は,台座の記録によれば宝永6年当村の大庄屋田中半右衛門によって安置されたという。明和3年山名義徳は領内巡視に際して田中半右衛門宅で休息したといい,領主巡視は江戸期を通じてこれが唯一であった。当村は再三洪水の被害をうけ,寛永12年家2・土蔵1,寛政8年家2軒の流失などが記録されている。明治22年熊次村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389135
最終更新日:2009-03-01




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