ケータイ辞書JLogosロゴ 小谷村(中世)


兵庫県>但東町

 南北朝期に見える村名。但馬国出石郡雀岐荘東方のうち。雀岐荘は本家法勝寺,領家坊門家の皇室領荘園で,文永10年に領家・地頭間で下地中分が行われ,当村は領家方(東方)に属した。南北朝期の貞和5年5月24日付沙弥明心書状(東洋文庫所蔵但馬国雀岐庄具書)に「増法寺・小谷以下田畠在家」とあり,当村の田畠などが南朝方に与同した雀岐荘公文の所領として闕所とされ,幕府から門真左衛門入道舜意に宛行われている。門真氏はこれに乗じて「雀岐庄内平田・増法寺・小谷三ケ村」の領家職を押領,幕府は同年12月に公文職を除く当村を坊門家雑掌に返渡すよう命じた。ついで,観応2年にも当村は太田孫太郎の濫妨を被っている(同前)。また,貞治5年にも名主・荘官らの当村領家職に対する濫妨が停められている(藤波家文書/大日料6‐27)。なお,当地の中世城郭跡としては,沢田城跡・京川城跡などがあり,出石の山名氏の支城であったことが知られる(城館荘園遺跡)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389165
最終更新日:2009-03-01




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