ケータイ辞書JLogosロゴ 越田村(近世)


兵庫県>山東町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国朝来郡のうち。元和元年頃からは幕府領。村高は,「但馬国知高帳」321石余,「国高一紙」321石余ほか出作52石余,「天保郷帳」321石余ほか越田出作58石余。延享3年当村の木村勝右衛門は生野代官の悪政を糾し,与布土【ようど】全村の百姓の苦難を救うために単身上洛して京都西町奉行所,あるいは出府して幕府老中へ上訴した。ついに願いはきき入れられ,農民史に大きな足跡を残した木村勝右衛門の代表越訴は彼の手記「江戸出訴日記」とともに有名である。如意庵は,安永4年木村勝右衛門の娘祖心尼の開基で,もと毘沙門堂前にあったが腐朽したため,のち現在地にあった民家を改装・再興したもの。明治22年与布土村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7389185
最終更新日:2009-03-01




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